犯罪学教室のかなえ先生が2026年6月24日に配信した「【卒業当日】明日から無職になるVtuberに今どんな気持ちか聞いてみる。まだ撤回できるぞ【かなえ先生/大蔦エル】」は、活動終了を控えた大蔦エルを送り出す約53分の対談だった。タイトルはかなえ先生らしく強めだが、配信の中身は、出会いの振り返り、長く続いた関係、卒業後にも残りそうな期待を、冗談を挟みながら確かめる時間になっている。

中京テレビ放送の発表では、大蔦エルは2018年9月30日に活動を開始し、2026年6月30日をもって活動終了予定とされている。6月24日には本人のYouTubeチャンネルで最終配信、6月27日にはLEFTY限定オフラインイベント、6月30日に活動終了という流れだ。今回のかなえ先生枠は、その最終配信直前に置かれた「レイド配信」でもあり、ただの雑談ではなく、次の枠へ送り出すための前室のような役割を持っていた。

記事タイプとしては、ニュース・告知と対談振り返りの中間に近い。活動終了そのものは中京テレビの公式発表で確認し、配信内でのやり取りは公式YouTubeアーカイブの自動字幕をもとに整理する。事件解説や炎上話題ではなく、長く活動してきたVTuberアナウンサーを、関係の深い活動者がどう送り出したかを見る記事として読むのが合っている。

体験的具体例としては、少なくとも四つの場面を本文で扱う。ひとつめは、冒頭で卒業日と活動終了日を確認しながら、予定外に卒業式のような枠が立った流れ。ふたつめは、名古屋のVTuberイベントやスペースをきっかけに交流が始まり、ポッドキャストへつながった話。みっつめは、シドニー滞在中の面接や、2018年デビューという黎明期の活動を振り返る場面。よっつめは、司会、営業、裏回りの強みを挙げながら、今後もどこかで戻ってきそうだと話す終盤だ。

卒業配信の直前に置かれた、軽口混じりの前室

明るい配信部屋で二つのマイクと花束、カレンダーを囲むオリジナル男性キャラクターのイメージ
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配信冒頭では、かなえ先生が「明日から無職になるVTuberさん」と紹介し、大蔦エルが中京テレビアナウンス部所属のVTuberアナウンサーとして自己紹介する。すぐに音声が二重に聞こえるかもしれないというコメントが入り、二人で確認する小さな混乱もあった。卒業を扱う枠でありながら、最初からしんみりしすぎない入り方だった。

自動字幕では、かなえ先生が「僕らしい送り出し方をしよう」と話しつつ、まず「お疲れ様でした」と声をかける流れが確認できる。一方で大蔦エルは、6月30日までは所属として活動していると補足する。ここで「卒業配信の日」と「活動終了日」が混ざりやすいことを、配信内で軽くほどいていたのが大事だった。アーカイブで後から見る人にも、6月24日は最終配信の日で、6月30日が活動終了予定日だと整理しやすい。

この場面のよさは、かなえ先生が寂しさを隠さない一方で、暗い別れの式典にはしないところだ。タイトルの言い方を自分で「普通に悪口」と茶化し、大蔦エルも「卒業式をするの初めて」と返す。送り出す側が未練を見せると、卒業配信前の場は重くなりがちだが、この二人の場合は、軽口が多いぶん、寂しさが直接的すぎない。

配信の構造としても、この枠は本番の卒業配信へつなぐ導線になっていた。33分台には、この後21時から大蔦エルの卒業配信があることに触れ、残り時間を見ながら話を進めている。つまり、かなえ先生の枠だけで完結するのではなく、見ている人を大蔦エル本人の最終配信へ送り出す作りだ。前室で思い出を話し、最後は本人の枠へ行く。この流れがあるため、対談の温度も「お別れを済ませる」より「次の場へ渡す」に近い。

視聴者が追体験しやすい具体例としては、予定が直前に決まったような話がある。かなえ先生は、2日ほど前に収録などの話をしていた時、6月24日に卒業配信があると知り、卒業式をする流れになったと話していた。活動終了の予定そのものは公式発表で出ていても、関係者同士の枠が直前に立つことはある。ファンから見れば、卒業前にもう一度二人の会話を聞ける機会として受け取れる。

ここで扱われている「卒業」は、悲劇として描くより、活動の節目として見る方が合っている。中京テレビの発表では、本人のさらなるステップアップのために議論を重ね、活動終了という選択に至ったと説明されている。配信内でも、大蔦エルはすでに卒業配信やオフラインイベントへ向けて動いており、かなえ先生はその予定の合間に、自分なりの送り出しを差し込んでいる。事実関係と配信の空気が大きくずれていない。

一方で、かなえ先生は単に「おめでとう」で済ませてはいない。15分台には、大蔦エルから活動終了の話をかなり早い段階で聞いていたことに触れ、笑顔で送り出しにくい、未練がましく枠を取っているというニュアンスも出していた。ここは、長く関わった相手を送り出す時の複雑さが見える場面だ。前向きな選択だと分かっていても、もう同じ形では話せなくなる。その揺れを、配信では冗談に包んで出していた。

この入り方は、卒業配信をリアルタイムで追っていない読者にも分かりやすい。卒業日、活動終了日、最終配信の位置づけ、かなえ先生との関係の深さが、冒頭から少しずつ示されるからだ。単に「大蔦エルが卒業します」というニュースだけなら公式発表で足りる。今回の記事で見るべきなのは、その発表を受けて、関係のある活動者がどう言葉にしたかである。

もうひとつ印象に残るのは、配信が「泣かせるための回」になっていないところだ。大蔦エルはアナウンサーとしての活動歴が長く、かなえ先生との付き合いも深い。だから、感動的な言葉だけでまとめようと思えばできる。しかし実際の配信では、音声確認、タイトルいじり、卒業日確認、レイドの段取りといった実務的な会話が多い。卒業の重みを、配信者同士の日常会話の中に置いているのがこの回らしい。

この「日常会話のまま送り出す」感覚は、アーカイブで見るとかなり効いてくる。卒業や活動終了の発表は、どうしても日付、理由、今後の予定に目が向きやすい。けれど、ファンが実際に記憶しているのは、予定表の数字だけではなく、いつもの呼び方、軽い言い合い、音声トラブルに反応する間のような細部だったりする。今回の枠は、その細部を残すことを優先したように見えた。

かなえ先生が「まだ撤回できるぞ」という温度で話すのも、ただ引き止めたいというより、普段の関係を保ったまま最後の場へ送るための言い方だった。配信内では、卒業式をする予定がなかったこと、卒業配信のタイミングを知って急に枠を立てたことが語られる。きれいに準備された式ではなく、関係者が「それなら自分も一言言わせてほしい」と入ってきたような手触りがある。そこに、公式発表だけでは拾いにくい人間関係の厚みが出ていた。

また、視聴者にとっても、この前室は気持ちの置き場になりやすい。本人の卒業配信だけを見ると、どうしても「最後」を正面から受け止めることになる。かなえ先生の枠は、その少し前に笑って話せる場所を作っていた。卒業を知らなかった人には予定を知らせ、知っていた人には最終配信へ移動する前の助走を用意する。配信導線として見ると、かなり実用的な役割も果たしていた。

名古屋の接点から、ポッドキャストまで伸びた関係

名古屋の街灯とイベント会場を背景にラジオマイクとヘッドホンが並ぶ配信スタジオのイメージ
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6分台からは、二人の活動歴の話に移る。大蔦エルは2018年9月から活動していると話し、かなえ先生は2020年9月デビューであることを確認する。二年違いとはいえ、VTuberの歴史の中では2018年組はかなり早い。かなえ先生は、当時から今も活動していることを、かなり長く続いた存在として扱っていた。

中京テレビの発表でも、大蔦エルは日本初のテレビ局所属VTuberアナウンサーとして2018年9月30日に活動開始したと説明されている。YouTubeだけでなく、ナゴヤVTuberまつり、Virtual Unit Fes. VILLS、24時間テレビ メタバース会場、地上波番組など、幅広い活動が挙げられている。配信内でかなえ先生が「24時間テレビのメタバース版」に出られた話をするのも、この公式に確認できる活動実績とつながる。

二人の初接点として語られたのは、名古屋のVTuberイベントやスペースでの出会いだった。字幕では、名古屋のパルコ、VTuber名古屋、VTuber展のような言葉が出てくる。細部は記憶が混ざっていると本人たちも断っているが、名古屋に来るたびにご飯に行くようになり、収録時間が近かった時にスタジオ近くで合流した話まで続く。関係の始まりが、オンラインだけではなく、名古屋という場所に結びついているのが特徴だ。

この場面は、視聴者にも想像しやすい。VTuber同士の関係は、配信画面の中だけで完結して見えることが多い。しかし実際には、イベント、収録、移動、食事、スペース、ポッドキャストといった複数の接点が重なっていく。今回の対談では、その重なりが本人たちの口から順番に出てくる。配信者同士の距離が、急に親しくなったのではなく、何度も会話する中で積み上がったものだと分かる。

12分台には、「叶えるエルオールナイトラジオ」というポッドキャストの話が出る。二人でポッドキャストをやり、活動について裏で話して盛り上がってきたという振り返りだ。配信内では、3年くらい続いたような感覚と、2023年12月からだったという記憶の擦り合わせもあった。数字の正確さよりも、二人の中でかなり長く続いた共同作業として残っていることが伝わってくる。

このポッドキャストの話は、単なる懐かしさではない。かなえ先生は、大蔦エルが活動終了の話をかなり早い段階で伝えてくれたことにも触れていた。誰にいつ言うかは、卒業や活動終了では繊細な問題だ。本人が最初期に伝えた相手の一人としてかなえ先生がいたなら、この送り出し枠が立ったことにも納得感がある。長く一緒に話してきた相手だからこそ、最後にもう一度話す意味が出る。

視聴者側の体験的具体例としては、長く続いたラジオや定期コラボが急に終わる時の感じに近い。毎週の番組や不定期の掛け合いは、見ている側にとっても生活の中に少しずつ入ってくる。終わると分かった時、最終回だけではなく、その前の雑談や送り出し枠にも意味が出る。今回の配信は、まさにその「最終回の前に聞いておきたい会話」だった。

かなえ先生が大蔦エルを「大先輩」として扱うのも、この章では効いている。普段のかなえ先生は、法律、事件、ゲーム、格闘ゲームなど、かなり強い言葉で話す場面も多い。だがこの配信では、活動歴の長さやテレビ局所属VTuberとしての特殊さを認めたうえで、からかいながらも敬意を置いている。軽口の裏に、2018年から続けてきた相手への見方がある。

初見者向けに補足すると、大蔦エルは中京テレビ所属という肩書きだけでなく、愛知・名古屋の文脈を持つVTuberでもある。配信内で名古屋のイベントやスタジオ近くの食事が自然に出てくるのは、その活動の地盤があるからだ。全国規模の大型イベントに出る一方で、地域のイベントや収録現場で顔を合わせる。そうした活動の幅が、かなえ先生との関係にも影響していたように見える。

この章で一番残るのは、二人の関係が「仲がいい」という一語に収まらないことだ。イベントで知り合い、スペースで話し、名古屋で会い、ポッドキャストを続け、活動終了を早い段階で共有する。関係の種類がいくつもある。だから卒業当日の対談も、単なるゲスト出演ではなく、活動史の一部を一緒に閉じるような時間になっていた。

配信内で語られた24時間テレビ メタバース会場の話も、この関係の広がりをよく表している。かなえ先生は、大蔦エルの力でその場に出られたと冗談交じりに感謝していた。中京テレビの発表にも、大蔦エルが24時間テレビ メタバース会場などの大型イベントに関わってきたことが記されている。活動者同士の仲の良さが、ただの雑談相手に留まらず、イベント出演や企画の機会へつながることがある。その実例として、この話はかなり分かりやすい。

ポッドキャストの話も、今見ると活動の記録として意味がある。配信や動画は単発で消費されやすいが、ラジオ的な会話は、二人の関係がどう続いてきたかを残しやすい。かなえ先生と大蔦エルが、表の企画だけでなく、活動について裏で話してきたという言い方をしていたのは印象的だった。卒業直前の対談でその名前が出ることで、リスナーにとっても「そういう時期があった」と思い出す入口になる。

ここには、地方やテレビ局の文脈を持つVTuberならではの面白さもある。大蔦エルは、YouTube上の活動者であると同時に、中京テレビのアナウンス部所属として、地域イベントや放送局の企画に接続していた。かなえ先生のような個人勢活動者がそこへ接点を持つと、普段の配信では見えないルートが開く。名古屋のイベントで会い、メタバース会場やポッドキャストへ話が伸びる流れは、VTuber同士の関係が場所や企業企画をまたいで広がる例としても読める。

面接エピソードと司会力で見える、大蔦エルの活動の幅

旅先のノートパソコン、イベント台本、マイク、照明が並ぶ明るいデスクのイメージ
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17分台からは、大蔦エルという活動者を改めて残すような話題が増える。かなえ先生は、チャンネルがなくなることに触れつつ、10年後くらいまで「大蔦エルというやつがいた」と思い出してもらうために、改めて聞いておきたいと話す。そこで出てきたのが、面接のエピソードだった。

大蔦エルは、中京テレビのVTuberアナウンサーになる前、面接のタイミングでシドニーにいたという話をしている。まだコロナ前で、リモート面接が一般的ではなかった時期に、Skypeで面接できないかと提案した流れだ。字幕では、シドニー、Skype、対面ではないことへのアンフェアさ、最終的にはきちんと面接をしたことなどが確認できる。細部は本人の語りに任せるべきだが、かなり印象に残る採用前の話だった。

この場面の面白さは、VTuberらしい偶然というより、アナウンサー的な行動力の前段が見えるところだ。旅先にいても、面接の機会を逃さず、方法を提案する。しかも、テレビ局所属のVTuberアナウンサーという、当時としてはまだ珍しい立場へ入っていく。視聴者から見ると、活動開始後の実績だけでなく、そこへ入る前から少し変わった突破力があったことが分かる。

かなえ先生は、35分台でも大蔦エルの強みを挙げている。ナレーション、司会、名古屋市議会か選挙関連の司会、大型イベントVILLSの総合司会、営業、前に出るだけでなく裏へ回れること。中京テレビの発表にも、ナゴヤVTuberまつり、VILLS、eスポーツ大会、BtoBイベント、記念式典など、さまざまなイベントMCを担当したとある。配信内の評価は、公式発表の実績とも方向が合っている。

特に印象的だったのは、かなえ先生が「前に出ないのがすごい」という趣旨で話した場面だ。VTuberはどうしても自分が目立つ場所へ出たくなるが、大蔦エルはコラボやラジオの中で、今日は自分が回す、今日は相手が話す、という立ち位置を選べる。司会や営業の話は、華やかな実績としても読めるが、配信内ではそれ以上に「場を成立させる力」として語られていた。

これは、視聴者がイベントやコラボを見る時にも分かりやすい具体例だ。複数人の配信では、全員が同時に前へ出ると話が渋滞する。誰かが一歩引き、誰かに話を振り、必要な時だけ自分の言葉を入れると、配信は聞きやすくなる。大蔦エルは、その裏回りをできる活動者として語られていた。アナウンサーという肩書きが、単なる職業名ではなく、配信上の振る舞いにも出ている。

かなえ先生は、24時間テレビのメタバース会場に出演できたことについても、大蔦エルの力だったと振り返る。大蔦エルは、その時の募金やメタバース会場の話を受け、冗談を交えながらも関わりを認める。ここも、二人の関係が配信だけではなく、企画やイベントの導線にまで伸びていたことを示す場面だ。誰かが誰かを外へ連れていく。活動者同士の関係では、その部分が後から大きな意味を持つ。

この章で注意したいのは、大蔦エルの実績を必要以上に美談化しないことだ。配信内では、司会もできる、営業もできる、炎上しない、コンプライアンスがある、NDAも引けると、かなえ先生らしい誇張混じりの言い方が続く。記事では、その言葉をそのまま大きく断定するのではなく、司会やイベントMCの実績、コラボで場を回す力として整理するのがちょうどいい。

体験的具体例としては、イベントで司会者がいる時の安心感を思い浮かべると分かりやすい。出演者が多いイベントでは、次に誰が話すか、どこで企画を切り替えるか、時間が押した時にどう戻すかで、見やすさが変わる。大蔦エルは、その部分を担える人として見られていた。かなえ先生が終盤で「プロってください」と何度も冗談めかして言うのも、単に寂しいから引き止めるのではなく、能力が惜しいという見方があるからだ。

さらに、面接エピソードから司会力の話までをつなぐと、大蔦エルの活動は「キャラクターとしてかわいい」だけでは説明しきれない。旅先からでも面接に向き合う行動力、テレビ局所属としての肩書き、地域イベントや大型イベントのMC、ポッドキャストで相手を受ける力。今回の対談は、その複数の側面を、かなえ先生が一つずつ拾い直す回でもあった。

配信の中では、チャンネルがなくなることにもはっきり触れていた。大蔦エルが「全部なくなります」と返す場面は、視聴者にとっても重い。活動のアーカイブやチャンネルが見られなくなる可能性がある時、ファンが後から振り返れるものは限られる。だからこそ、かなえ先生が「昔こういう人がいた」と残すために聞いておくという言い方をしたことには意味がある。この記事でも、配信内で確認できた話題を整理して残すこと自体が、後から見返すための手がかりになる。

大蔦エルの強みとして語られた「前に出ない力」は、派手な見せ場になりにくい。歌やゲームのように切り抜きやすい場面ではなく、誰かの話を受け、次の話題へ渡し、場が詰まった時に軽く動かす技術だからだ。けれど、イベントやコラボではその力がないと全体が止まる。かなえ先生がそこを拾ったのは、長く一緒にラジオや企画をやってきた相手だからこそ見えた評価だった。

この点は、卒業記事としても重要だ。活動終了を伝えるだけなら、代表的な出演歴や年数を並べれば足りる。しかし、本人がどんな場で頼られていたか、相手の活動者がどこを惜しんでいたかまで書くと、記事は少し違う読み方になる。大蔦エルの場合、公式発表の中の「イベントMCを担当」という言葉が、かなえ先生の対談では「前に出るだけでなく裏へ回れる」「営業できる」「司会できる」という具体的な評価に変わっていた。

視聴時に注目したいのは、かなえ先生が評価を挟むたびに、大蔦エルが照れたり、冗談で逃がしたりするところだ。卒業前の相手をまっすぐ褒め続けると、場がかしこまりすぎる。そこで「カナプロ」や研修制度のような冗談が入り、褒め言葉が少しずつ笑いへ逃げていく。受ける側がアナウンサーとして場を回せる人だから、その冗談も崩れすぎない。二人の会話の噛み合い方が、活動歴の長さを自然に示していた。

戻ってくるかもしれない余白まで含めて送り出す

夕方の配信スタジオで片付けられた台本と光るモニター、花束を見つめるオリジナル男性キャラクターのイメージ
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終盤では、話題が「卒業後」に向かっていく。かなえ先生は、チャンネルがなくなることに触れ、大蔦エルという存在を思い出してもらうために話を聞いておきたいと語っていた。一方で、完全に過去形にするのではなく、VTuberとしてのステージに立つことを諦めきっていないのではないか、いつか戻ってくるのではないかという余白も何度も置いている。

40分台には、かなえ先生が、VTuberを8年やって人に応援される感覚を味わった人間だから、なんだかんだ帰ってくるのではないかと話す。大蔦エルは、企業所属としてスタートダッシュできた場所で活動してきたため、個人勢としてゼロから積み上げることは簡単ではないと返す。ここは、卒業後の話を軽く煽るだけではなく、活動環境の違いまで見えるやり取りだった。

この場面は、個人勢・企業勢の違いを考えるうえでも興味深い。企業所属のVTuberは、最初から番組、イベント、制作環境、公式導線を持つことがある。一方で、個人勢は配信、制作、営業、告知、数字の管理まで自分で積み上げることが多い。大蔦エルが「背中を押してくれる場所や人がいないと難しい」というニュアンスで話していたのは、その差を本人の言葉として聞ける場面だった。

かなえ先生は、ライブ2Dの話や「カナプロ」への誘いを冗談にしながら、もし戻るなら手伝えることがあるという方向へ話を広げる。もちろん、これは具体的な移籍発表や新活動の告知ではない。記事でも、戻ってくると断定してはいけない。ただ、送り出す側が「また何かできるかもしれない」と言葉にすることで、卒業の寂しさだけで閉じない終盤になっていた。

46分台には、かなえ先生自身の今後の話も少し出る。現実ではマネージャー的な立場があり、バーチャルの世界ではプレイヤーとして活動することでバランスが保たれている、という趣旨の話だ。さらに、卒業した人や関わった人が後から振り返った時、かなえ先生と関わって楽しかったと思ってもらえる存在でありたいと話していた。これは、大蔦エルを送り出す回でありながら、かなえ先生自身の活動観もにじむ部分だった。

視聴者が追体験しやすい具体例としては、長く遊んだコミュニティや定期番組を離れる時、完全に縁が切れるわけではない感覚がある。名前やチャンネルは終わっても、関わった人の記憶、過去の仕事、別の場で再会する可能性は残る。今回の対談は、その曖昧な残り方をかなり率直に扱っていた。卒業を「終わり」として受け止めつつ、関係まで終わるとは限らないという見方だ。

45分台には、かなえ先生が「体には気をつけや」と声をかける場面もある。ここは、派手な言葉ではないが、この回の締めに近い。活動終了の理由や今後の展望を細かく詰めるより、まず体に気をつけてほしい。長く関わった相手へ最後に残す言葉としては、かなえ先生の強い口調の中ではかなり素直な部類だ。

終盤では、かなえ先生のLive2Dの衣装や眼鏡、白衣が脱げるかもしれないといった雑談まで戻る。卒業の話から急に脱線するようにも見えるが、この脱線があるから、対談は最後まで二人の普段の会話として終われる。寂しいから泣いて終わるのではなく、最後まで噛み合ったり噛み合わなかったりしながら、卒業配信へ送り出す。そこに、この枠の味があった。

この章で大事なのは、卒業後の情報を作らないことだ。公式に確認できるのは、6月30日の活動終了、6月24日の最終配信、6月27日のLEFTY限定オフラインイベントである。配信内での「戻ってくるかもしれない」「カナプロにおいで」という話は、関係性から出た冗談や期待として読むべきだ。読者には、その温度を崩さず伝えたい。

最後に残るのは、かなえ先生が大蔦エルを「惜しい人」として語っていたことだ。司会ができる、営業ができる、裏へ回れる、炎上しにくい、コンプライアンス感がある。配信では冗談まじりに並べられたが、活動者としての評価はかなり具体的だった。卒業対談で相手をただ褒めるのではなく、どの能力が惜しいのかを言葉にしていたから、送り出しの文章としても読みやすい。

今回の配信は、卒業をニュースとして知るだけでは見えにくい部分を補ってくれる回だった。公式発表で予定を確認し、かなえ先生の枠で関係の厚みを聞き、最後は大蔦エル本人の卒業配信へ向かう。少し長い活動史のすべてを53分で語り切ることはできないが、名古屋の出会い、ポッドキャスト、司会力、戻ってくるかもしれない余白まで並んだことで、活動終了前の一区切りとして十分に濃い時間になっていた。

大蔦エルの活動は、VTuber黎明期からテレビ局所属、地域イベント、大型イベント、アナウンサー的な司会まで広がっていた。だから、卒業当日の対談も一つの感傷だけでは受け止めにくい。かなえ先生は、寂しい、戻ってきてほしい、能力が惜しい、でも体には気をつけてほしい、という複数の感情をそのまま出していた。きれいに整理しすぎないからこそ、長い付き合いのある相手を送り出す感じが出ていた。

読者がこのアーカイブを見るなら、最初から最後まで「卒業の名場面」を探すより、会話の切り替わりを追う方が合っている。冒頭の音声確認と日付整理、名古屋での出会い、ポッドキャスト、面接、司会力、カナプロの冗談、体を気遣う言葉、卒業配信への案内。どれか一つが大きな結論になるのではなく、全部が少しずつ積み重なって、大蔦エルという活動者の輪郭を作っている。

少し留保を置くなら、この配信だけで大蔦エルの8年を網羅することはできない。公式発表にある出演歴やイベント実績、本人の最終配信で語られた内容は、それぞれ別に確認した方がいい。ただ、かなえ先生との関係から見た大蔦エルを知るには、この53分はかなり濃い。卒業を前にした活動者同士の対談として、笑いと未練と感謝が同じ場所に残っている。

その意味で、この回は「卒業配信の前に見る補助線」としても使いやすい。本人の最終配信だけを見ると、活動全体の歩みやファンへの言葉が中心になる。一方で、かなえ先生の枠では、外から見た大蔦エルの働き方、コラボ相手としての頼もしさ、長く関わった相手だから言える寂しさが前に出る。二つを続けて見ると、本人が語る卒業と、周囲が見てきた大蔦エルの姿を分けて受け取れる。

また、今回の対談は、卒業や活動終了を扱う記事でありがちな「最後だから全部きれいにまとめる」書き方とは少し違う。実際の会話には、噛み合わない冗談、時間を気にするやり取り、衣装の操作が分からない話、次の配信へ急ぐ段取りが混ざっている。そこを削りすぎると、この枠の良さも消えてしまう。活動の節目であっても、最後まで普段の配信らしい雑さと親しさが残っていたことを、この記事では大事にしたい。

後からアーカイブを開くなら、冒頭、12分台、35分台、45分台以降を押さえるだけでも流れはつかみやすい。卒業日の整理、ポッドキャストの記憶、司会や営業の評価、体を気遣う言葉が、それぞれ別の角度から大蔦エルを残している。